過去の記憶「母を亡くした高校時代の知り合い」についての思い出。
高校時代、母親がお亡くなりになったという知り合いの女の子がいた。
前から少し悩んでいる様子があり、亡くなってから事情を知った。
少し前から、突然走り出してはしゃがみ込んで塞いだりしていた。
それは「もうすぐ母親が死んでしまう」という悲しみからだったらしい。
母親を亡くすというのはどういうことなのだろう。
私は母親と仲良くはなかった。憎まれていた。
日々無視され馬鹿にされていた。
その子が塞ぎ込んでいた理由を知って、
母親が死ぬということを悲しめるんだなと新鮮に思った。
その子は、私にむかって「私の悩みって、○○(私)の悩みと比べれば大きいよね」
と言っていた。
その子の悩みというのは「母親の死」のことだ。
私の悩みというのは何をさしていたのだろう。私はその子に悩みを話したことはない。
その子に「私は母親が亡くなっても何も思わない。むしろ爆笑してしまうかもしれない」と打ち明けていたなら、どんな顔をしただろう。
その子の言葉は、「わかりあえない」という断絶を示していて面白かった。
ただ「私の悩みって、○○の悩みと比べれば大きいよね」という言葉は
何年もたった今でもなんとなく苛立ちとともに思い出す。
母親が死ぬ悲しみを知ることと、母親が死んでも何も感じないということ。
今でも「人との断絶」の象徴として思いだす出来事だった。